nisshiykun’s blog

人生の航海にっしーなんつって。

地獄から地獄へ。

今回はどこから始めようか…。

祖母の死からますます両親のケンカは激化。

 

怒号、物の飛び交う音。

もちろん、数個は優しい思い出もあります。

 

家族で海に行った思い出🏖

でもそれくらいかな。w

 

両親のケンカの日々は案の定、離婚という形になりました。みなさんの想像通りですね。

 

子供3人は母親が引き取る事に。

これが僕らにとって最も最悪でした。

 

母親が引き取る。ほっと安心した子供の頃の僕に今なら何ていう言葉で説得しようか。

多分。何を言っても無駄だったと思う。

母親が大好きだったから。

大人になって絶縁済みの今ですら本気で憎むことは出来ないのだから。

 

兄が小2、僕が5歳、妹が4歳の時に離婚したのかな。

そこからです。母親の虐待は。

 

1番先に標的になったのは兄。

ついでくらいで僕。

 

辛かった。母親の帰りが大体22時〜23時くらい。

絶えずお腹が空いてた記憶しかない。

 

朝ごはんは無し。学校の給食から夜22時くらいまで待たされてお腹が空いたと泣いてたらボコボコ。

理由は近所の人に聞こえたらどうする?的な感じです。

 

大人しく寝てたら髪の毛を思いっきり引っ張られて起こされ理由が分からない説教されながらのご飯。

 

出前を頼む事も多く。お腹が極限まで空いた状態で意味の分からない説教されながら出前を待つ。

 

やっとご飯にありつけた時は、料理の熱さ、食べ物の大きさ関係なくとりあえず噛まずに飲み込みます。

それくらいお腹が空いてたんです。

よく口の中を火傷したり、切ったりしてました。

並大抵の熱さじゃもう火傷しないくらいに口は頑丈になりました。w

 

そしてやっとご飯にありつけた嬉しさとわけの分からない理由で怒られてるカオスな状況にご飯の一口目から大号泣しながら食べてました。

 

すごいですね、この歳になってもあの頃の気持ちが鮮明に蘇り書いてる途中で泣けてくる。

 

ある日。母親の帰りがいつも以上に遅くイライラが極限の兄が突然

 

「腹減ったぁ!!何か食わせろー!!」

 

と叫びました。

…シーン。…ガラガラ!!

 

ちょうど母親が帰ってきました。

僕ら3人は多分、いや絶対同じことを考えてた。

 

「今の兄の叫びは母親に聞こえてないよな?」

母方の祖母との別れ☀️

 

写真はイメージですがこんな感じの家に住んでました。

 

周りの家はというと、真新しい家もあったり古い家もあったりですが、僕の家が目立ってボロボロでした!w

 

しかも借家!w

今の僕が考えても、もう少しまともな賃貸探せる気がするw

 

多分、色んな事情があったんだと思う。

 

それよりも思い出すのは両親はケンカ三昧の日々。

母親と祖母との口喧嘩。

 

当たり前すぎてこの頃はあまり気にしてなかった気もしますが、怯えてた気もする。

その時のことは鮮明には覚えてません。

ただ生やさしいケンカではなく、物と怒号が飛び交い大人と大人が本気でぶつかってる。大人は怖いもの。

これくらいの記憶です。

 

 

それからは早かったような長かったような。

母方の祖母が亡くなりました。

僕が4、5歳の頃です。

 

兄はおばあちゃんっこだったので号泣号泣号泣。

僕も泣いていたと記憶してますが、両親いわく理解してないみたいでポカーンとしてたと聞きました。

兄が泣いているので、僕も泣いた。そんなところだと思います。

妹もそんな感じだと思います。

 

 

幼すぎる僕たち兄妹はまだ知りませんでした。

この母方の祖母の死が、僕ら兄妹にとってどんな地獄になるのかを。

生まれ☀️

1992年11月11日生誕

愛知県名古屋市中村区で生まれました。

父と母、兄と妹、母方の祖母との生活。

 

幼少期は兄を慕い、兄の真似ばかりする子供でした。

 

遊びに行くのも、嫌いな食べ物もゲームも運動も

兄がしていることは全部。

兄には鬱陶しがられてました。笑

 

でも僕が注射が怖くて泣いたり、近所の子供に虐められたりしてると「弟を泣かすな、意地悪するなと」

大激怒してくれた思い出も残っています。

 

妹はというと天然でおっちょこちょい。

父親は悪気はないのですが、天然の天ちゃんだな。

天子ちゃん。

と呼び可愛がられてました。

天然で陽気な妹は家族に笑いを与えてくれていました。

僕や兄に意地悪されて泣いていた記憶もあります。

 

この頃の両親の印象は

父親は朝から晩まで働いて日曜日の休みはずっと寝ている。家にいる時もあまり喋った記憶はなく少し怖い、という印象でした。

 

母親も働いており、基本的に母方の祖母に面倒をみてもらっていました。

 

やんちゃな僕たちに振り回されながらも

優しく接してくれました。

 

これが僕の1番古い記憶です。

続きはまた、お話します。

人生をかける☀️

 

にっしーです🧏‍♂️

よろしくお願いします!

 

僕は2022年11月11日をもって30歳になりました。

30歳という節目の年に仕事を辞めてyoutuberになろうと決意し、今は動画の作成、勉強に奮闘中です🔥

僕の〇〇channel

https://m.youtube.com/channel/UCzfpWPUGydQ5VtPUl2ldRJA

 

 

社会一般的にいえば、よくいるダメ人間w

かもしれません。

 

ですが、色んな思いや考え方があり

youtubeや blogを更新していこうと思いました。

 

未来の話をする前に、僕の過去の話をしていきたいと思います。

 

これから更新していきます。

少しでも興味を持って頂けたら幸いです。

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